OBERKOCHEN 〜オーバーコッヘン〜

 ドイツは第二次世界大戦を敗戦という形で幕を閉じた。戦争の賠償としてヤルタ協定によりドイツは東西に分断され、ロシアとアメリカにそれぞれ支配されることになる。東ドイツ領イエナにはロシア軍が進駐してきた。その2日前にアメリカ軍はイエナからツァイス社関係の主要人物をロシア軍に渡すまいと自分たちの領地にあたる西ドイツ領へと光学技術ごと一晩にして移送した。ツァイス社から85名、ショット社から41名、計126名の主要人物とその家族はシュットットガルトの南東にあるハイデンハイムに向かったのである。ハイデンハイムへの移住を余儀なくされながらも、一息つく間もなく新しい工場を作る準備を彼らは始めた。ハイデンハイムから約16キロ離れたところに見捨てられた軍事工場があったので、カメラの生産ラインとしてそれを拝借することにした。その軍事工場のあった土地こそが寒村オーバーコッヘン。現在ツァイス社が本社を構えており、村全体がツァイス一色となっている。

 

ゆかりの地別メニューに戻る

極楽堂トップページへ戻る

 

inserted by FC2 system