コンタックスがキエフとなるまで

 コンタックスがキエフへと変貌する経緯は諸説が飛び交い、今となっては100%正確なことは分からない。コンタックスII型はイエナのカールツァイス工場とドレスデンのツァイスイコン工場の2個所で作られていた。分かりやすく言えば、コンタックスRTSを、京セラとカールツァイスの双方で作っていたようなものだ。ほとんどのロットはドレスデンで生産された。何故イエナでも生産したのか詳細は不明だが、ドレスデンのツァイスイコン工場が第二次大戦の空襲で壊滅状態となった為、戦後にソ連への賠償目的としてイエナに生産施設を作ったという説もある。ドイツ敗戦後に賠償として旧ソビエト連邦はイエナのコンタックス生産施設を持ち出した。生産機械はもちろん、設計図、部品、おまけに技師までウクライナ地方のキエフのアルセナール工場まで運ばれた。同じ生産施設を作り上げ、部品も持ち出し、しかもツァイスの技師が製作指導したので、当然ながら同じクオリティのカメラができる。しかし、部品が切れると新たに部品を作ったが、加工精度や材料が悪く、当然クオリティも徐々に下がっていった。このコンタックスのコピーカメラは80年代半ばまで生産された。以下、下の写真を追って説明する。

 

 

 

写真左上:東ドイツ/ドレスデン製コンタックス。最も数が出回っているコンタックスII型。
写真右上:東ドイツ/イエナ製コンタックス。ロゴがドレスデン製より彫りが深いのが分かる。
写真左中:東ドイツ/イエナ製アイボリーコンタックス。ソ連の上官に献上した30台しか作られなかった超レア物。
写真右中:ロシア/アルセナール製ノーネームキエフ。外貨獲得の為に1961年に西側諸国に少数出荷。
写真左下:ロシア/アルセナール製キエフ。初期に生産、ロゴはキリル文字。コンタックスに最も近い仕上がり。
写真右上:ロシア/アルセナール製キエフ。後期に生産された物で、鍍金や部品の精度も落ちている。
 

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